経営指針の重要性、必要性に気づきました

久保 安正氏

<久保 安正・プロフィール>
1956年生まれ、株式会社久保組 代表取締役。愛媛県中小企業家同友会 四国中央支部幹事。
1987年に入会。2005年度四国中央支部 副支部長。良い会社をつくる一心で1990年から経営指針成文化セミナーに5回挑戦し、2000年に自社の存在意義を明確にした、経営理念を確立。
「私たちは、建設業のサービス産業化を実現して、会社の繁栄と社員の幸福、関係会社・取引業者との『強存強栄』をはかり、地域社会に貢献します。」を経営理念に掲げ、介護福祉分野にも進出し、全社一丸経営を実践しています。

―入会のきっかけ

1985年に埼玉県の不動産会社に務めていたのを辞めて、後継者として愛媛県に帰ってきました。当時は公共事業100%で、建設業中心の会社でした。それまで民間を対象に様々なことをしていたので、息苦しさを感じていました。

 

当時の社長が久保組をどんな会社にしたいのかビジョンを示してくれず、背中に黙ってついてこいというようなやり方でした。私としては会社を改革したいと思っていました。父親であり、社長である人がビジョンを示してくれない。自分で何かを掴みたい。経営ってどういう風にしたらいいのか考えていました。そんなときに同友会に誘ってくださる人がいて、勉強できる場があるのならと思い入会しました。

―同友会での学び、経営に生きていること

一番の学びであり、経営に生きていることは経営指針の重要性、必要性です。

 

亡くなった泉製紙株式会社の宇高昭造さんと一緒に経営指針成文化セミナーを受けたことが最初です。当時は何もわからず、経営者としての未熟さを感じました。セミナーを受けても完成出来ず、とても悔しかったことを覚えています。完成させるところまで何とかレベルアップしたいと思い、結局10年間で5回ほど経営指針成文化セミナーを受講しました。

 

経営指針は経営理念、経営方針、経営計画の積み重ねだと思っています。そして根本となるのが経営理念だと思っています。経営理念の重要性、必要性に気づくのに10年以上かかりました。

 

経営指針成文化セミナーに4回目に参加したときにやっと成文化できましたが、それは文字にしただけの、魂のこもっていない偽物の経営指針でした。本物の経営指針を作らないと中小企業家同友会に入会している意味がないと思い、本物を作れない自分は退会しようかと考えたこともあります。

 

しかし、ある時、ラジオでとあるエピソードを聞いたことがきっかけで、経営理念が、戦略や商品まで変えるような、経営の根幹をなすものであることを理解しました。

 

そして、それまで経営指針成文化セミナーに参加してきた学びを活かして2000年、除夜の鐘を聞きながら経営理念の作成に取り組みました。同年5月に完成し、全社員で理念浸透のための合宿を行い、社内発表を行いました。全社員での合宿、社内発表は今でも毎年行っています。

 

経営理念に基づいた経営の重要性に気づき、今も実践し続けています。

―経営での失敗や成功

介護事業に取り組んだことが失敗であり、成功です。

 

軽はずみに勧誘に乗って別事業に取り組んだこと、準備不足が失敗の要因です。介護事業に取り組んだ初年度から何千万円という赤字で始まりました。2005年に分社化しましたが、親会社も引き込まれてしまうくらいの窮地に追い込まれました。

 

赤字になった時、子会社に理念がないことに気が付きました。そして理念を作り、その経営理念に基づいた経営をしていこうと判断しました。そして経営理念に基づいた経営を行った結果、それまで債務超過だった企業が今では優良企業になりました。成功の要因は経営理念です。経営理念に基づいた経営を行う、この判断を間違えていたら今わが社は存在していません。九死に一生を得て今があります。

―同友会への期待

経営理念を作り、経営指針を完成させることの重要性と魅力に、より多くの人に気付いて欲しいと思っています。そしてそれが同友会の大切な役割なのではないかと思います。経営指針があってこそ、共同求人や社員教育等の委員会も活きてくるのだと思います。

 

愛媛同友会は様々な取り組みを行っています。とても素晴らしいことだと思います。だからこそ根本である経営指針の成文化を更に進めていって欲しいと思います。経営理念に基づいた経営のあり方に多くの人に気づいてもらい、実践する人が増えてこそ同友会運動だと思います。

インタビュアー・文責:伊井 達哉(愛媛同友会 事務局員)

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