同友会との出会いが会社発展の原動力

良野 一生氏

<良野 一生・プロフィール>
1954年生まれ。(有)いっせいグループ 愛媛県中小企業家同友会 理事
愛媛県中小企業家同友会には1986年1月22日に入会。愛媛同友会松山支部長や企業連携担当理事、等々を努める。
“すべての出会いは、人との出会いから”を信条とする良野さんは、愛媛同友会の仲間づくり運動の原動力でもありました。良野さんの「同友会との出会いが会社発展の原動力となっています」と語る姿は、まさに“企業経営と同友会運動”の体現者そのものです。

―入会のきっかけ

居酒屋ぶらぶらある記を創業して数年経った当時月に1回のリズムで、10人前後の集団がお店に来ていて熱く語っていました。それが報告者を囲んでの懇親会でした。月に1回程きていて数回きた後に、鎌田哲雄専務理事(当時事務局長)から勧誘を受け、2つ返事で入会しました。ぶらぶらある記を創業してから、「もっと店を大きくしたい」「チェーン展開するぞ」という思いがあったこと、成功させるためにはどうしたらいいかを常に考えていたことが入会に至った理由だと思います。

 

※当時を知る鎌田専務理事より・・・愛媛同友会準備会の時に中同協の国吉昌晴さんが懇親会のお店を決めていて、そのお店が居酒屋ぶらぶらある記でした。国吉さんがぶらぶらある記を知らなかったら、良野さんは入会していないでしょう。

―同友会で学んだこと、経営に生きていること

同友会で学んだことは沢山あります。しかしそれも鎌田さんとの出会いや同友会の会員の皆さんとの出会い、お店に来てくださっている方々皆さんとの出会いのおかげです。出会いがなければ今の私は存在していません。感謝しています。

 

学んだというよりは自然と身につきました。体験をしながらつながって、経営をしながら自分に入ってきた感覚でした。自然と学ばされたようでした。気付けば同友会と共に歩んでいたように思います。

 

入会した当時、日曜日は休業していて平日の例会には全く参加できませんでした。同友会に本格的に参加しようと、月に1回の例会にできるだけ出席しようと思ったときがあります。千房株式会社代表取締役 中井政嗣さんが松山で講演してくださったとき、講演自体は仕事で聞くことができなかったのですが、懇親会をぶらぶらある記で行っていたので、懇親会ではお話を聞くことができ、その際に、講演では聞けないような貴重な話を多くしてくださいました。

 

そして鎌田さんからその講演の録音されたカセットテープをプレゼントしていただき、毎日テープが擦り切れるまで聞きました。そのときにこんな話が聞けるのであれば、例会に出席するためにも、社員を雇用して、日曜日休業していたのをやめて、年中無休にしました。そしてこれが会社を大きくするきっかけにもなりました。

―会社経営での失敗や成功

失敗は沢山しています。失敗からの学びを活かすことで全体を成長させているのだと思います。失敗を恐れていると成功しないと考えています。

 

多くの人は良い時にお金を全部使ってしまったり、奢ってしまったりするように思います。良い時にこそ貯めるようにしてきました。良い時に貯めることも大変でしたが、失敗した時、本当に欲しいに助かりました。良い時に貯めて悪い時に吐き出すこと。銀行も悪い時はお金を貸してくれません。これが失敗しても生きてきた理由だと思っています。

 

何度かどん底を経験してきましたが、どん底の時でも笑顔でいることを心がけました。私が愚痴を言っていたり、弱音を吐いたりするとそれは伝染してしまいます。常に笑顔でいることを私は大切にしています。

 

また、私は今でも現場に立って社員と共に働いていますが、社長が現場に立っていることに驚かれる方もいます。社長だから現場に入らないなんてことはありません。現場を見て、入って、手を入れていくことが原点であり、大切なのだと思います。

―愛媛同友会への期待

事務局と会員や役員の対話はとても大切だと思います。事務局が会員訪問をする際に会員と一緒に訪問するようにすればより良いのではないかなと思います。仲間ができて、会員同士のつながりを作ることにも繋がると思います。1回の会員訪問が一石二鳥になる機会になるのではないでしょうか。仲間づくり、会員同士のつながりが増えることは力を入れていってほしいと思います。

 

最後に、私の会社の社訓は“夢にえがお”です。すばらしい出会いが同友会の仲間です。

インタビュアー・文責:伊井 達哉(愛媛同友会 事務局員)

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